前回からの続き・・・
その湾の奥が本当にイルカ浜なのか判らないのに、僕ら6人とVa'a Kupunaは一体になり、どんどん漕ぎのピッチも上がり、躍動しながら、踊り狂うように・・・まるで何かのエネルギーに引き寄せられるように湾の中に入っていった。
湾の入り口にある大きな定置網を過ぎ、一段とスピードが増していく。
うねりも無いのに、うねりに乗るようなピッチだ。
6時間も、60キロ以上も漕いだ漕ぎ手じゃない、尋常じゃないピッチで、灰色の堤防と同化して見にくかった灰色の人工の浜、イルカ浜の上にOceanの黄色のT シャツや黄色のキャップが確認できた。
と・・・・その時、
長い時の流れの中を待っていたかのように、
僕らとVa'a Kupunaの周りに無数のキラキラ光る何かが海面から踊るように跳ねるように浮き出てきた(と僕は感じた・・・・)
その時のキラキラがカメラにも少しだけ写っていた。
そのキラキラは、愛、幸福、平和、 そのものだった。 なぜか、僕はそう感じた。
疲れも、のどの渇きも・・・すべてが吹っ飛んでいくようだった。
僕らを祝福するように、自らの喜びを表すように、僕らの周りを、イルカ浜までの道のりをキラキラは導いてくれた。
僕ら6人とVa'a Kupuna は、全く絶えることなく、そのままの波に乗るようなピッチで、機械のように一寸の狂いも無く正確なタイミングでイルカ浜に突入していった。
まさにそれは、疲れも、苦しさも、何も感じない・・・・僕らはトランス状態だった。
そう、イルカ達の魂に祝福されながら・・・・
イルカ達の魂を癒すように・・・・
川奈のイルカ浜、 この浜、この入り江は、近年までイルカの追い込みが行われていた場所だ。
だから、今回の Hoe Va'a Voyaging で唯一の中継地点として、この殺風景な入り江に在る決して美しくない人工の浜辺をえらんだのだった。 もちろん地理的にも外洋に突出た入り江ということもあった。だからこそ、イルカの追い込み漁が栄えた地形だったのだろう。
数千頭、数万頭のイルカがこの入り江に追い込まれ、撲殺され続けたという悲しい歴史がある入り江だった。 その悲しみを覆い隠すように、コンクリートの堤防を造り、この人工の何の情緒もない浜は造られたのだった。
『 Va'a (カヌー)は海を癒し、魂を癒すことができる唯一の乗り物なんだよ・・・Duke 』
と、僕はハワイィの長老から何度も何度も教えられた。
だから、僕らは海を漕ぐ・・・・・漕ぎ続ける・・・・
僕ら人間の都合だけで、海で遊び、海を汚し、浜を破壊し、海の生き物を乱獲し、海を資源として、しか見てこなかった、近代の僕らの祖先達。
それでも、何でも受けとめ、受け入れ続けてきた僕らの母なる海、すべての源 『海』。
もう、そろそろ、海に対する意識を見直し、古代の民族のように、海を中心とする天地自然と共存する生き方を選んでもいいのではないだろうか?
海を愛してる、海に感謝する・・・という意識を何よりも大切に持って、海に向き合う時が来ているんじゃないだろうか?
忘れないで欲しい、人類(ホモサピエンス) がこの地球上に誕生して、10万年しか経っていないということを。
この海はその遥か昔、40億年前からこの地球に存在するということを。
この海が存在してきた、時の流れに比べれば、人間が誕生して今までの時の流れは、ほんの一瞬。
そんなほんの一瞬の10万年の間、僕らの祖先は天地自然と共存し、海に畏敬の念を持って生き続けてきた。
そして、この経済至上主義、物質至上主義の、皆が当然と思っているような現在の生き方が始まって、たったの150年ほどしか経っていない。 ということをもう一度思い出してほしい。
『 悲しみ、苦しみ・・・バランスを失ったすべての命を癒し、愛します。』
そう、心に誓いながら、願いながら、僕らはいつも海に漕ぎ出す。
To be continue......
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