2013年8月27日火曜日

Hoe Va'a Voyaging Yumigahama 川奈から先人の魂に導かれて弓ヶ浜へ

前回からの続き・・・・

もうあまりにも日にちが経ち過ぎたので、連載は止めようかと思ってたけど、
けっこうリクエストがあるので、またHoeVa'a Voyaging Yumigahama 書くことにしました。

今回は一気に、弓ヶ浜まで行くぞ(笑)

もたもたしてたら、もう記憶が定かじゃなくなるからね。


川奈のイルカ浜では、たくさんのオハナ達が笑顔で出迎えてくれた。
その時の模様は陸からサポートしてくれた、こちらを観て下さい

6時間以上漕いできたクルー達は、到着前のイルカの魂による祝福のお陰なのか、全く疲れも見せずに川奈のイルカ浜に上陸した。 

僕もここで15分ほど休憩、おにぎりやサンドイッチを食べて補給。

Va'a (カヌー)には、必ず出迎えるオハナ(家族のような絆や繋がりがある仲間)があり、見送るオハナがあって、初めて本当の『Va'a で海に出る』 大切な意味がある儀式なのだと僕は信じている。
  


Va'a を、漕ぎ手だけでなく、陸に残る皆で持ち上げ、Va'aに手を触れて、自分エネルギーをVa'aに注ぐ、海という陸とは全く違う世界に出て行くVa'a と漕ぎ手に、自分たちの様々な想いを伝える。

Va'aが海から帰ってくるのを待つ・・・・その行為だけで、時間にコントロールされない、古代の人々生き方に一瞬触れることができる。

だからこそ、Va'aには、見送るオハナ、出迎えるオハナがいて欲しい・・・

Va'a を送り出すとき、そして出迎えるときの海や天地自然への感謝の気持を表現した舞が、現代のHula の始まりだったらしい。


話しはそれたけど(笑)、 

川奈イルカ浜、からの弓ヶ浜までの55キロを漕ぐクルーは、hide, ikepon, jin, yasu, yosui, duke,。

川奈から漕ぐ5人は、この入り江が、今日の風とウネリを見事にさえぎる、良港だということを知っているのか知らないのか・・・緊張の表情もなく、余裕で笑顔で漕ぎ出した。 踊りはなかったけど、見送るオハナ達の笑顔とイルカの魂に見送られて・・・・。 

俺はイルカの魂たちに、『厳しい航海になるけど、また明日帰ってくるよ、今回の航海を導いてね・・・』 とあらためて心で強くお願いして漕ぎ出した。 




定置網をよけながら、外洋に出る手前の小網代にある神社の鳥居に、僕はペコリと頭を下げて、

僕らとKupuna はいよいよ、相模灘に漕ぎ出でた。 

これから城ヶ崎を越え、大室山が噴火した時代の溶岩流が海に流れ出しできた溶岩台地の断崖が荒々しく続く海岸線沿いを漕ぐのだ。

すぐに台風からの南ウネリと風が、俺たちとKupunaに白波となって襲い掛かってきた。

ハワイ島と同じように、溶岩が海に流れ出してできた荒々しい海岸線のために、砂浜は無いし、逃げ込めれるような港もしばらくは無いのは始めから判っていたので、クルーの皆を励ましながら、ただひたすらに南に舵をとった。 

どのような角度にKupunaのバウを向ければ長さが14メートルもあるカヌーのスピードと安定を維持できるのか、それに注意をはらいながらも、少しでも気を緩めると風とうねりに押されて岸に近づきすぎて、隠れた岩礁にぶつからないように、注意しながらも、あまり沖に出て、大きな台風のグランドスウェルを食らわないように、僕は舵取りに集中した。
 
岬を越えるたびに、風とうねりの角度が違ってくる、穏やかな沿岸であれば、とにかく岬のピークからピークにかけて最短で漕げばまず間違いないが、荒れた相模灘の沿岸を漕ぐのは、複雑な潮の流れやバックウォッシュをも味方に付けてカヌーを進める必要がある。

ずっと向かい風だったが、南に流れる沿岸流が押してくれたお陰で、荒れたコンディションのわりには、まさにKupunaとクルー6人が一つになり漕ぎ続けたお陰で、思ったよりも早く、そして無事に僕らは城ヶ崎海岸を越えて、白波を越えて、休憩も短めにとりながら、北川温泉、熱川温泉と続く穏やかな海岸線に到達した。 

稲取岬にさしかかったところで、かすかに叫び声が聞こえた、Oceanのオハナ達が遠くの岸から叫んでいたので、でも俺らクルーは漕ぐ手を休めることもなく、ただひたすらと、前に前に漕ぎ続けた。

Hoe aku i ka wa'a  カヌーを前にすすめよう! 僕がそういわなくても、クルー皆は感じていた。

そんな感じで皆はただ海を漕いで渡ることだけに集中していた。
誰一人観光気分で漕いでる、クルージングしてる気分の漕ぎ手はいなかった。
クルー達はおそらく気づいていたのだろう、まだまだ先に、この後の道のりが長いことを、そして夕暮れまでに、あまり余裕が無い・・・てことを感じていたに違いない。

このまま漕いでいて、俺たちは南伊豆の弓ヶ浜に上陸できるのだろうか??? 暗くなる前に到着できるのだろうか? クルー皆は口には出さないけども、とにかく前に進むしかなかった。

それでも、稲取、爪木岬、でオハナ達の声援を耳にする度に、クルーの漕ぎが良くなるのは確実だった。 やはり相模灘、大海原、いつも漕いでいる相模湾と違い、漁船もヨットも舟とも出会わない海を漕いでいて、仲間の声が聞こえたときの安心感、一瞬陸の世界を思い出すときの感動は格別だ。 



その時の様子は、こちらを観て下さい。 漕いでる僕らよりも、大海を見ながら待ってるほうが
感動的だね。

岬を越えるたびに、遥か遠くに見えていた爪木崎がドンドン迫ってくるように大きく見えてくる。最後の難関だ。 
爪木崎に近づくにつれて外洋のグランドスウェルが大きくなっていったが、さっきまでの潮とぶつかり起こっていた風波が小さくなり、ただ山のようなウネリを越えながら漕ぎ進む。

爪木崎の手前の美しく穏やかな外浦に上陸するつもりだったが、稲取を過ぎた辺りから、追い潮がなくなったのか、それともクルーの疲れが出てきたのか、Kupunaのすべりがあきらかに遅くなっていた。 

皆を外浦の砂浜に上陸させて、休みをとり、最後の難関、大荒れと思われる爪木から弓ヶ浜までの南伊豆の海を漕ぐためのエネルギーを補給しようと考えていたが、時間的に、このペースで漕いで寄り道をしてしまうと、もう暗くなってしまいそうな予感がした。 

慣れない海で、それも荒れた海を暗くなって漕ぐことほど危険なことはないので、外浦への上陸は止めて、そのまま岸に寄らないで、白浜を遠くに望みながら、沖にコースを取り、爪木崎のピークをめがけて僕らは漕ぎ続けた。

海全体が大きく動いているようだった・・・。

でも、爪木の沖は思ってたほどにウネリは大きくならず、それほど苦もなく、逆にオハナの皆の展望台からの声援に励まされて、残り一時間ほど、薄暗くなりかけた海を疲労と戦いながら、もうろうとしながら僕らはひたすら漕ぎ続けた。



夕陽が、進行方向の山に沈むために、岸の景色は暗く輪郭だけで、どんどん見づらくなっていく。

前にも一人で茅ヶ崎から漕いだ時と全く同じシチュエーション。でも今回は力強い仲間が居る。
Va'a 6人で漕ぐことの素晴らしさ、力を合わせてカヌーを前進させる素晴らしさ・・・・それは決して独りで漕ぐことの6倍の感動ではなく、10倍も100倍もの感動と感激そして勇気にになる。

まだ、オハナと呼べる仲間が居なかった4年ほど前、独りでこの海域を漕いだ時、そして2年前の秋、海からの巡礼の旅で、この南伊豆の海を漕いだ時、その時の自分とVa'aと海とのことを思い出
して涙がとめどなく流れてきた。                                                    
こうして、6人で、オハナで、力を合わせてKupunaで、この南伊豆に、タライ岬に、弓ヶ浜に帰って来れたことに感動していた。

僕の体の中で何かが叫んでいるように感じた。

下田港を過ぎ、タライ岬と、その奥に弁財天岬がハッキリ確認できたときだろうか・・・・

僕の中の声がはっきり聞き取ることができた。     

それは、こんな言葉のような、詩のようなものだった・・・・


海を漕いで渡ること・・・

それは生きることそのもの、

目的も、理由も、意味もない、

何も求めない、

記録のためでも、競争のためでも、チャレンジのためでも、


遠くの海で風が吹き荒れ、うねりが岸に到達するように、

雨が降り、山から海に水が流れるように、

毎朝東の山から太陽が昇り、そして海に沈む美しい夕焼け、

暗くなると輝きだす星と月、

朝陽とともにさえずる鳥、

夏になると鳴きだすセミ、

秋が近づいたことを教えてくれるコオロギや鈴虫、

野に咲く、雑草やクローバーのように、

天地自然、森羅万象の営みのように、


そう海を漕いで渡ることもそれと同じ、

そこに目的や、理由や、意味はいらない、

僕にとって、この地球に生まれ、そして死んでいくのと同じこと。

海を漕いで渡ることは、

生(せい)そのものだ。




タライ岬を越え右に進路を向けた時には、もうすでに正面の南伊豆の山に太陽が沈んでいた。



チャントが響く中、僕らは弓ヶ浜につづく湾内を凄いスピードで漕いでいた。

誰が合図を出すでもなく、皆とKupunaが一心同体になって、うねりに乗りながら弓ヶ浜に引き寄せられていく。

弓ヶ浜の海洋民族の魂が湧き出し、歓喜の声をあげている。

彼らは何年待ったのだろう、1000年、2000年? 5000年?かも知れない、
いや、1万年かも知れない、

時空を越え、その古代の海洋民族の魂はここに集まってきていた。
喜んでいた。
たくさんのVa'aに乗った僕たちの祖先が、先人が、そこで出迎えてくれた。

僕だけじゃない、一緒に漕いだクルーにも、弓ヶ浜で待っていたオハナ達にも、それををハッキリ感じることができただろう。



今までの自分は今日で終わり、明日からはまた違う自分が朝陽と同時に生まれ変わり、新しい人生という海を漕ぎ始める。

そんな古代の民の叡智、カヌーピープルの生き方が僕は大好きだ。

そんな気持で、次の日(人生)を楽しみに、温泉に入り寝床についた。

To be continue.......