2013年10月3日木曜日

Hoe Va'a Voyaging Moku Nui (大島)

まだまた、Hoe Va'a Voyaging 弓ヶ浜240キロの旅 の話しが終わってないのに・・・

ハワイのKonaのレースに行ってきたりしているうちに・・・・

いつのまにか、伊豆大島まで往復する。Hoe Va'a Voyaging Muku Nui が終わってしまいました。

Moku Nui はハワイィ語で Big Island のこと、そうです、日本語で大島という意味です。
日本には沢山の場所に大島と呼ばれる島がありますが、湘南エリアに住む人にとって、大島と言えば伊豆大島のこと、相模湾内にある、葉山からだとおよそ60キロおきにある島です。

1986年にも噴火した活火山でもある三原山が島の中央にそびえ立つ、伊豆諸島の中で一番大きな島。というところも規模は違うけど、ハワイィのBig Island (ハワイ島)Moku Nui にそっくりです。


現代人は、テレビやパソコン画面や、スマートフォンや携帯の画面、時計や時刻表ばかり見て生活している。
海に頻繁に出かける人でも、ほとんどが波打ち際の波や、うねりの形にしか興味はいかないと思う。
でも、古代人、太古の人達、僕らのKupuna、先人達は、いつも上空の雲や空の色、星や月、沈む夕陽や、昇る朝陽、虹の形をみて、その時々の移り変わる色や空気を感じながら、それら自然が語りかける声や意味を感じながら生きていた。
地球の息吹に畏敬と慈しみを感じて生きていた。
そして、この辺りの海辺近くに住む人たちにとって、遠くに見える島、は特別なものだったんだろう。
さまざまな気持で、遠くに見える島を見て、またその先にあるであろう、見えない島々に想いをはせていたんだろう。 
今と違い、空気がいつも澄んでいて、高い建物も家もないから、いつもどこからも大きく広がる海が見え、その向こうに大島が見えてた。

 
中秋の名月の明かりに導かれて舟出。 そして東からE Ala E




太古の先人達が想いをはせるMoku Nui(大島)とその間にある海峡に、海洋民族の末裔の俺たちが興味を示すのは当然のなりゆきで自然な流れだった。

太古の先人達は、科学技術や文明に毒され侵された現代に生きる俺たちよりも、はるかに叡智の人達で、僕たちが想像できないほどの優れた能力を持っていた。

大島までの海峡を渡るのは何時がタイミングがいいのか?
風、潮流、天気、・・・・自然の変化を数日先まで予想できた彼らは、ほんの60キロ程離れた見える島への海峡横断は、そんな大変なことではなく、絶妙のタイミングで潮に乗り風に押されて、難なく渡っていたのだろう。


 大島を背に、帰路につくが追い風なのに向い潮、なかなかスピードが出ない。


今回の大島への海峡横断、Hoe Va'a Voyaging Moku Nui
この海峡を渡るのは何度目だろう??
OC-1で渡り、SUPで渡り、6人乗りカヌーで数回渡り・・・僕自身、何度も何度も渡った海峡だ。

今回、初めて、きっと、近年で初めて、もしかすると太古の先人達もやってないかもしれない(ていうか、そんなに日帰りするほど急ぐ生き方をしていないはずだから・・・)大島まで一日で漕いで行って帰ってくる・・・という、ことをやってみて、改めて感じたこと・・・。

黒潮の分流がながれ、潮流が複雑に変化する相模湾を漕ぐたびに思うこと、気づかされること・・・

それはいかに現代の私たちが毎日忙しく、自然の流れではなく人間がつくった時間という化け物に束縛され、コントロールされてるか、てことだった。

太古の先人達のように、風待ちして、潮待ちして・・・五感を研ぎ澄ませて、自然の声を聞き、最高の条件の日を選んで、『舟出できるタイミングが航海する時・・・』という恵まれた環境で舟出できないのが現代社会に生きる僕たちだ。
時間に追われ、陸地の常識や習慣にコントロールされた現代人たちにとっては、実際に120キロ航海することや海と調和して漕ぐことよりも以前に、たくさんの困難が立ちはだかる。
それは自分自身のスケジュールや、やらなきゃ(と思い込んでる)ことなど等・・・
ホントに可哀想なくらい忙しくて、そのために壮大で雄大で、太古の先人たちと繋がる、海と繋がる数少ないチャンスを自ら失ってしまう。

自然は待ってくれないし、遅らせてもくれない・・・常にリズミカルにそのタイミングは流れている。
導きは訪れ、去っていく・・・。 
僕ら人間はそれにあわせるだけ、頭を空っぽにして、心をピュアにして、ただ大いなる力、グレートスピリットの時の流れに合わせるだけでいいのだ。

今回のHoe Va'a Voyaging Moku Nui 大島までの往復120キロの旅は、3連休の初日、予備日にしていた21日に決行した。  最初の計画では22日だったのだが・・・。

はたして、この日が一番自然に導かれた日だったのだ。
日照時間が真夏ほどにないこの時期をあえて選んだのは、何よりも暑さを避けるため、そして、中秋の名月に照らされた砂浜で祈りを捧げ、昼間のように明るい海に漕ぎ出すことができた。
月の光と夜光虫の青白い波しぶきが幻想的に辺り一面を照らし、僕らとVa'a を導いてくれた。
海上に映る月と東の空から顔を出す太陽に感謝の気持を込めて、E Ala E。

自然現象のすべてに導かれ、風と潮にも祝福されて、夕陽に照らされた葉山に何も問題なく帰ってこれたのは、大いなる力に導かれるままに、この日を選び常に謙虚に海にむきあったから。 人間の都合や予定を中心に航海を決行しないで、ただ自然の声に耳をかたむけただけだった。




Va'a (カヌー)という太古から存在し継承されてきた舟に乗り、いにしえの祖先たちと同じ方法で海を漕いで旅することで、祖先達の霊や魂に直接触れることができる。

”母なる海” はすべの人類の過去をしっている・・・

そしてVa'a は波間に漂う遠い昔の記憶を呼び戻す 『時の語り部』。

Va'aが生きている 『時』 は、航海の時間だけでなく連綿と続く人類の”いとなみ’やその中にある ”息吹” や ”想い” に触れる 『時』。

Hoe Va'a Voyaging
”母なる海” に抱かれながら遠い記憶に心はせる 『いのちの時』


夕陽に照らされながら漕ぎ続ける。

今回の Hoe Va'a Voyaging Muku Nui の航海の模様はあえて僕のブログでは説明しません。
詳しくはOcean のブログをみて下さい。 
(こちらから→http://blog.oceanaloha.com/?eid=475


いつの日か、太古の先人達のように、仲間と一つになり、Va'a とパドルだけで、自然からの導きと自分の直感だけを頼りに大海原を、海峡を、見えない島々まで漕いで渡れるような人間になりたいな~。

とにかく・・・海をいつも感じていたい・・・。 

海に溶けてしまいたい・・・。



 オレンジ色に染まった葉山の山々、大浜が眩しかった。

3連休の3日間、伴走艇をスタンバイしてくれたエドさん、そして予備日を含め3日間の予定をオープンにしてVoyagingに望んだクルー達・・・
ご苦労様でした。 

映像を編集してくれたダイちゃん、ありがとう!


Hayama-Oshima Voyaging 20120921 from Daisuke Yokoyama on Vimeo.


今回日本のChannel(海峡)を漕いで、太古の先人たちと繋がった僕たちは、あと数日でハワイィのChannelを漕いで渡ります。 

ハワイィの海洋民族とその魂に敬意を表すために全力で臨みます。
日本の海洋民族の誇りとスピリットを胸に・・・・

皆の気持ちを僕らにおくってくださいね!

2013年8月27日火曜日

Hoe Va'a Voyaging Yumigahama 川奈から先人の魂に導かれて弓ヶ浜へ

前回からの続き・・・・

もうあまりにも日にちが経ち過ぎたので、連載は止めようかと思ってたけど、
けっこうリクエストがあるので、またHoeVa'a Voyaging Yumigahama 書くことにしました。

今回は一気に、弓ヶ浜まで行くぞ(笑)

もたもたしてたら、もう記憶が定かじゃなくなるからね。


川奈のイルカ浜では、たくさんのオハナ達が笑顔で出迎えてくれた。
その時の模様は陸からサポートしてくれた、こちらを観て下さい

6時間以上漕いできたクルー達は、到着前のイルカの魂による祝福のお陰なのか、全く疲れも見せずに川奈のイルカ浜に上陸した。 

僕もここで15分ほど休憩、おにぎりやサンドイッチを食べて補給。

Va'a (カヌー)には、必ず出迎えるオハナ(家族のような絆や繋がりがある仲間)があり、見送るオハナがあって、初めて本当の『Va'a で海に出る』 大切な意味がある儀式なのだと僕は信じている。
  


Va'a を、漕ぎ手だけでなく、陸に残る皆で持ち上げ、Va'aに手を触れて、自分エネルギーをVa'aに注ぐ、海という陸とは全く違う世界に出て行くVa'a と漕ぎ手に、自分たちの様々な想いを伝える。

Va'aが海から帰ってくるのを待つ・・・・その行為だけで、時間にコントロールされない、古代の人々生き方に一瞬触れることができる。

だからこそ、Va'aには、見送るオハナ、出迎えるオハナがいて欲しい・・・

Va'a を送り出すとき、そして出迎えるときの海や天地自然への感謝の気持を表現した舞が、現代のHula の始まりだったらしい。


話しはそれたけど(笑)、 

川奈イルカ浜、からの弓ヶ浜までの55キロを漕ぐクルーは、hide, ikepon, jin, yasu, yosui, duke,。

川奈から漕ぐ5人は、この入り江が、今日の風とウネリを見事にさえぎる、良港だということを知っているのか知らないのか・・・緊張の表情もなく、余裕で笑顔で漕ぎ出した。 踊りはなかったけど、見送るオハナ達の笑顔とイルカの魂に見送られて・・・・。 

俺はイルカの魂たちに、『厳しい航海になるけど、また明日帰ってくるよ、今回の航海を導いてね・・・』 とあらためて心で強くお願いして漕ぎ出した。 




定置網をよけながら、外洋に出る手前の小網代にある神社の鳥居に、僕はペコリと頭を下げて、

僕らとKupuna はいよいよ、相模灘に漕ぎ出でた。 

これから城ヶ崎を越え、大室山が噴火した時代の溶岩流が海に流れ出しできた溶岩台地の断崖が荒々しく続く海岸線沿いを漕ぐのだ。

すぐに台風からの南ウネリと風が、俺たちとKupunaに白波となって襲い掛かってきた。

ハワイ島と同じように、溶岩が海に流れ出してできた荒々しい海岸線のために、砂浜は無いし、逃げ込めれるような港もしばらくは無いのは始めから判っていたので、クルーの皆を励ましながら、ただひたすらに南に舵をとった。 

どのような角度にKupunaのバウを向ければ長さが14メートルもあるカヌーのスピードと安定を維持できるのか、それに注意をはらいながらも、少しでも気を緩めると風とうねりに押されて岸に近づきすぎて、隠れた岩礁にぶつからないように、注意しながらも、あまり沖に出て、大きな台風のグランドスウェルを食らわないように、僕は舵取りに集中した。
 
岬を越えるたびに、風とうねりの角度が違ってくる、穏やかな沿岸であれば、とにかく岬のピークからピークにかけて最短で漕げばまず間違いないが、荒れた相模灘の沿岸を漕ぐのは、複雑な潮の流れやバックウォッシュをも味方に付けてカヌーを進める必要がある。

ずっと向かい風だったが、南に流れる沿岸流が押してくれたお陰で、荒れたコンディションのわりには、まさにKupunaとクルー6人が一つになり漕ぎ続けたお陰で、思ったよりも早く、そして無事に僕らは城ヶ崎海岸を越えて、白波を越えて、休憩も短めにとりながら、北川温泉、熱川温泉と続く穏やかな海岸線に到達した。 

稲取岬にさしかかったところで、かすかに叫び声が聞こえた、Oceanのオハナ達が遠くの岸から叫んでいたので、でも俺らクルーは漕ぐ手を休めることもなく、ただひたすらと、前に前に漕ぎ続けた。

Hoe aku i ka wa'a  カヌーを前にすすめよう! 僕がそういわなくても、クルー皆は感じていた。

そんな感じで皆はただ海を漕いで渡ることだけに集中していた。
誰一人観光気分で漕いでる、クルージングしてる気分の漕ぎ手はいなかった。
クルー達はおそらく気づいていたのだろう、まだまだ先に、この後の道のりが長いことを、そして夕暮れまでに、あまり余裕が無い・・・てことを感じていたに違いない。

このまま漕いでいて、俺たちは南伊豆の弓ヶ浜に上陸できるのだろうか??? 暗くなる前に到着できるのだろうか? クルー皆は口には出さないけども、とにかく前に進むしかなかった。

それでも、稲取、爪木岬、でオハナ達の声援を耳にする度に、クルーの漕ぎが良くなるのは確実だった。 やはり相模灘、大海原、いつも漕いでいる相模湾と違い、漁船もヨットも舟とも出会わない海を漕いでいて、仲間の声が聞こえたときの安心感、一瞬陸の世界を思い出すときの感動は格別だ。 



その時の様子は、こちらを観て下さい。 漕いでる僕らよりも、大海を見ながら待ってるほうが
感動的だね。

岬を越えるたびに、遥か遠くに見えていた爪木崎がドンドン迫ってくるように大きく見えてくる。最後の難関だ。 
爪木崎に近づくにつれて外洋のグランドスウェルが大きくなっていったが、さっきまでの潮とぶつかり起こっていた風波が小さくなり、ただ山のようなウネリを越えながら漕ぎ進む。

爪木崎の手前の美しく穏やかな外浦に上陸するつもりだったが、稲取を過ぎた辺りから、追い潮がなくなったのか、それともクルーの疲れが出てきたのか、Kupunaのすべりがあきらかに遅くなっていた。 

皆を外浦の砂浜に上陸させて、休みをとり、最後の難関、大荒れと思われる爪木から弓ヶ浜までの南伊豆の海を漕ぐためのエネルギーを補給しようと考えていたが、時間的に、このペースで漕いで寄り道をしてしまうと、もう暗くなってしまいそうな予感がした。 

慣れない海で、それも荒れた海を暗くなって漕ぐことほど危険なことはないので、外浦への上陸は止めて、そのまま岸に寄らないで、白浜を遠くに望みながら、沖にコースを取り、爪木崎のピークをめがけて僕らは漕ぎ続けた。

海全体が大きく動いているようだった・・・。

でも、爪木の沖は思ってたほどにウネリは大きくならず、それほど苦もなく、逆にオハナの皆の展望台からの声援に励まされて、残り一時間ほど、薄暗くなりかけた海を疲労と戦いながら、もうろうとしながら僕らはひたすら漕ぎ続けた。



夕陽が、進行方向の山に沈むために、岸の景色は暗く輪郭だけで、どんどん見づらくなっていく。

前にも一人で茅ヶ崎から漕いだ時と全く同じシチュエーション。でも今回は力強い仲間が居る。
Va'a 6人で漕ぐことの素晴らしさ、力を合わせてカヌーを前進させる素晴らしさ・・・・それは決して独りで漕ぐことの6倍の感動ではなく、10倍も100倍もの感動と感激そして勇気にになる。

まだ、オハナと呼べる仲間が居なかった4年ほど前、独りでこの海域を漕いだ時、そして2年前の秋、海からの巡礼の旅で、この南伊豆の海を漕いだ時、その時の自分とVa'aと海とのことを思い出
して涙がとめどなく流れてきた。                                                    
こうして、6人で、オハナで、力を合わせてKupunaで、この南伊豆に、タライ岬に、弓ヶ浜に帰って来れたことに感動していた。

僕の体の中で何かが叫んでいるように感じた。

下田港を過ぎ、タライ岬と、その奥に弁財天岬がハッキリ確認できたときだろうか・・・・

僕の中の声がはっきり聞き取ることができた。     

それは、こんな言葉のような、詩のようなものだった・・・・


海を漕いで渡ること・・・

それは生きることそのもの、

目的も、理由も、意味もない、

何も求めない、

記録のためでも、競争のためでも、チャレンジのためでも、


遠くの海で風が吹き荒れ、うねりが岸に到達するように、

雨が降り、山から海に水が流れるように、

毎朝東の山から太陽が昇り、そして海に沈む美しい夕焼け、

暗くなると輝きだす星と月、

朝陽とともにさえずる鳥、

夏になると鳴きだすセミ、

秋が近づいたことを教えてくれるコオロギや鈴虫、

野に咲く、雑草やクローバーのように、

天地自然、森羅万象の営みのように、


そう海を漕いで渡ることもそれと同じ、

そこに目的や、理由や、意味はいらない、

僕にとって、この地球に生まれ、そして死んでいくのと同じこと。

海を漕いで渡ることは、

生(せい)そのものだ。




タライ岬を越え右に進路を向けた時には、もうすでに正面の南伊豆の山に太陽が沈んでいた。



チャントが響く中、僕らは弓ヶ浜につづく湾内を凄いスピードで漕いでいた。

誰が合図を出すでもなく、皆とKupunaが一心同体になって、うねりに乗りながら弓ヶ浜に引き寄せられていく。

弓ヶ浜の海洋民族の魂が湧き出し、歓喜の声をあげている。

彼らは何年待ったのだろう、1000年、2000年? 5000年?かも知れない、
いや、1万年かも知れない、

時空を越え、その古代の海洋民族の魂はここに集まってきていた。
喜んでいた。
たくさんのVa'aに乗った僕たちの祖先が、先人が、そこで出迎えてくれた。

僕だけじゃない、一緒に漕いだクルーにも、弓ヶ浜で待っていたオハナ達にも、それををハッキリ感じることができただろう。



今までの自分は今日で終わり、明日からはまた違う自分が朝陽と同時に生まれ変わり、新しい人生という海を漕ぎ始める。

そんな古代の民の叡智、カヌーピープルの生き方が僕は大好きだ。

そんな気持で、次の日(人生)を楽しみに、温泉に入り寝床についた。

To be continue.......






2013年7月26日金曜日

Hoe Va'a Voyaging Yumigahama イルカの魂に導かれて・・・・

前回からの続き・・・


その湾の奥が本当にイルカ浜なのか判らないのに、僕ら6人とVa'a Kupunaは一体になり、どんどん漕ぎのピッチも上がり、躍動しながら、踊り狂うように・・・まるで何かのエネルギーに引き寄せられるように湾の中に入っていった。 

湾の入り口にある大きな定置網を過ぎ、一段とスピードが増していく。

うねりも無いのに、うねりに乗るようなピッチだ。
6時間も、60キロ以上も漕いだ漕ぎ手じゃない、尋常じゃないピッチで、灰色の堤防と同化して見にくかった灰色の人工の浜、イルカ浜の上にOceanの黄色のT シャツや黄色のキャップが確認できた。 

と・・・・その時、 
長い時の流れの中を待っていたかのように、
僕らとVa'a Kupunaの周りに無数のキラキラ光る何かが海面から踊るように跳ねるように浮き出てきた(と僕は感じた・・・・)

その時のキラキラがカメラにも少しだけ写っていた。



そのキラキラは、愛、幸福、平和、 そのものだった。 なぜか、僕はそう感じた。

疲れも、のどの渇きも・・・すべてが吹っ飛んでいくようだった。

僕らを祝福するように、自らの喜びを表すように、僕らの周りを、イルカ浜までの道のりをキラキラは導いてくれた。 
僕ら6人とVa'a Kupuna は、全く絶えることなく、そのままの波に乗るようなピッチで、機械のように一寸の狂いも無く正確なタイミングでイルカ浜に突入していった。


まさにそれは、疲れも、苦しさも、何も感じない・・・・僕らはトランス状態だった。

そう、イルカ達の魂に祝福されながら・・・・

イルカ達の魂を癒すように・・・・


川奈のイルカ浜、 この浜、この入り江は、近年までイルカの追い込みが行われていた場所だ。

だから、今回の Hoe Va'a Voyaging で唯一の中継地点として、この殺風景な入り江に在る決して美しくない人工の浜辺をえらんだのだった。 もちろん地理的にも外洋に突出た入り江ということもあった。だからこそ、イルカの追い込み漁が栄えた地形だったのだろう。

数千頭、数万頭のイルカがこの入り江に追い込まれ、撲殺され続けたという悲しい歴史がある入り江だった。 その悲しみを覆い隠すように、コンクリートの堤防を造り、この人工の何の情緒もない浜は造られたのだった。



『 Va'a (カヌー)は海を癒し、魂を癒すことができる唯一の乗り物なんだよ・・・Duke 』

と、僕はハワイィの長老から何度も何度も教えられた。



だから、僕らは海を漕ぐ・・・・・漕ぎ続ける・・・・


僕ら人間の都合だけで、海で遊び、海を汚し、浜を破壊し、海の生き物を乱獲し、海を資源として、しか見てこなかった、近代の僕らの祖先達。 

それでも、何でも受けとめ、受け入れ続けてきた僕らの母なる海、すべての源 『海』。

もう、そろそろ、海に対する意識を見直し、古代の民族のように、海を中心とする天地自然と共存する生き方を選んでもいいのではないだろうか? 

海を愛してる、海に感謝する・・・という意識を何よりも大切に持って、海に向き合う時が来ているんじゃないだろうか?

忘れないで欲しい、人類(ホモサピエンス) がこの地球上に誕生して、10万年しか経っていないということを。  

この海はその遥か昔、40億年前からこの地球に存在するということを。

この海が存在してきた、時の流れに比べれば、人間が誕生して今までの時の流れは、ほんの一瞬。

そんなほんの一瞬の10万年の間、僕らの祖先は天地自然と共存し、海に畏敬の念を持って生き続けてきた。

そして、この経済至上主義、物質至上主義の、皆が当然と思っているような現在の生き方が始まって、たったの150年ほどしか経っていない。 ということをもう一度思い出してほしい。





『 悲しみ、苦しみ・・・バランスを失ったすべての命を癒し、愛します。』


そう、心に誓いながら、願いながら、僕らはいつも海に漕ぎ出す。

To be continue......



2013年7月16日火曜日

今だけに生きる・・・・

古代の地球をイメージして欲しい・・・

まだ人類がこの地球に誕生する前の浜辺をイメージして欲しい・・・

はるかはるか昔の地球、海・・・・

そこにあたりまえのように上陸してきたウミガメに尋ねてみよう。

海を泳ぐイルカたちに質問してみるといい、

『今、何時??』 と 

なんと答えるだろう??




きっとこう答えるだろう・・・

『今はいまだよ。 いま以外どんな時があるていうのさ? 』と・・・逆に問いかけてくるだろう。

彼らには、今しかない、『いま』 以外には何も存在しない。

『時間』は人間の思考がつくりだしたもの。  

『時間』は幻である。

今がそこにあり、彼らは『いま』 を精一杯生きてるだけ。


それが、古代のカヌーピープルのシンプルな生き方だ。

『いまに在る』と、万物の美が見えてくる。

『いまの在る』と森羅万象が語りかけてくる。

そんな『いまに在る』 生き方に僕はあこがれる。




陸地にいると、どうしても過去(過ぎてしまった存在しない架空の時間)にとらわれてしまう。

過去に起きたことにこだわってしまう。

将来や未来(全く存在しない時)を予想したり、期待したり失望したりする。

将来や未来は、幻のなかだけに存在する。


僕も、今にだけ生きることができれば・・・と思う。 


今だけを信じることができれば・・・と思う。


でもなかなかできない・・・。

でも、それができる場所が僕にはある。  





それは海、 大海原を漕ぐとき・・・・海と向き合うとき。

そこには今しか存在しない、今が連続しているだけ。

波も、うねりも、風も、雲から射す、お日様の光も・・・・

すべて今、一瞬だけが真実。

海の色も、雲の色も、空の色も、風の強さも・・・・

刻一刻と変化する。今だけがそこに存在する。

地球が誕生して・・・・同じ状況は二度とそこに存在しない。

そこには架空じゃない、人間がつくった時間にコントロールされない、

ほんとうの世界がそこに、今存在するだけ。


思考にとらわれないで、胎ですべてを感じるだけでいい。

僕は海と、自然たちと、対話する。

今起きてることに、今の海の状況に、一瞬一瞬、対話してつながり前に進むだけ。


過ぎた時は振り返らない、とらわれない、これから起こることをかんがえもしない。

今に向き合い、前にすすむだけ。


このまま、ずっと、ただ海を漕ぎ続ければ・・・と思う。 













2013年7月11日木曜日

Hoe Va'a Voyaging 川奈イルカ浜まで

前回からの続き・・・



《川奈イルカ浜まで》

まずは、最初の目的地、東伊豆の川奈、イルカ浜を目指した。 



大きな周期の台風のうねりを胎で感じながら、大浜を出て30分もしないうちに、僕ら6人とKupunaは相模湾を東から西に流れる沿岸流にのることができた。

川奈のイルカ浜までの第一クルーは、Tomo, Dai, Seiya, Hosio, Kenny, Duke だった。
葉山に住むオハナ達で早朝に強い男達を揃えた。

その沿岸流に乗りながら、最短(直線)で東伊豆を目指さずに江ノ島の沖を通り、相模湾をなめるように、どちらかと言うと最初2時間ほどは小田原の南を目指すような感じで岸沿いに進路をとった。
クルーの皆が感じるほどの強い追い潮にのり、僕らのVa'a Kupunaは海面をすべり続けた。
漕ぎのピッチは55から60くらい、思った以上に早く心地よいリズムを刻みながら2時間もしないうちに大礒港の沖に到達していた。

あまりにも視界良好で、すべての山並みも街も見えすぎて、逆に目測を誤りはしたが、僕たちは沿岸潮にのりながら順調に漕ぎ続けた。 

クルー達は1時間毎に5分から10分の休憩を入れて、ただひたすら漕ぎ続けた。

皆無言で、海からエネルギーをもらいながら漕ぎ続けているようだった。

一番シートのTomoは、自分が先発のクルーに選ばれたことに驚きながらも、まじめに、そして精魂込めて、心地よいリズムで後ろの皆を引っ張って漕いでいる。
2番のDai は、Tomoをたびたび励ましながら、忠実にTomoのタイミングに正確に合わせてリズムを刻んでいる。
3番のSeiya はチェンジのコールを出すだけで、それ以外は終始無言で、いつもとは違う何かを海とKupunaから感じながらひたすら漕いでいた。

背中を照らしていた太陽が肩と首筋を照らし始めたころ、潮が逆になり始めた。
舟出して3時間過ぎたころだったかな、ちょうど真鶴半島にさしかかった辺りでうねりが大きくなり、追い潮だった潮が止まり、波長の大きなウネリとウネリの間に南西からの風波で海面が激しく動き出した。真鶴半島にぶつかった沿岸流と南西風がぶつかり始めていた。

視界が好過ぎるために、背後の陸地の緑に同化して見えにくかった初島がハッキリ確認できたのは、それから30分ほどしてからだろうか、初島の北側を通るか、南側を通るか迷いながら初島を目指していたところ、また一段と南西のウネリと南西風が強くなった、僕はそれまで開けて漕いでいた自分のスプラッシュカバーのジップを上までしっかり閉じて漕ぎ続けた。

真鶴半島までが相模湾、その南は相模灘、それをわざわざ示してくれるように、さすがに全く違う海だ。

盛り上がる台風のウネリがグン、グンと激しくアマを持ち上げる。同時に風がアマをパン、パンと突き上げる。 初島の西側(内側)を通る沿岸南下流を目指そうと、一度は北寄りに舵をとったが、アマ側からのウネリと風が気になったので、なるべく南西風に向かって進むように、初島の東側を通り、初島の南側に進路をとることにした。海水の色は、みるみるうちに澄んでいき、深い蒼色が鮮やかになっていった。  そして、伊豆大島の見える角度が、休憩をとる度に違ってくる、三原山がどんどん大きく観えてきた。
 
こんな海の状態でも、クルー達は落ち着き、疲れも見せず相変わらず心地いいリズムで漕ぎ続けていた。

Kupunaのエンジンになる3番シートのSeiya4番シートのHoshioは、もう漕ぎ始めて4時間以上経ったにも関わらず、うねりのリズムに合わせ、ギアーチェンジのように一段と力を込めて漕ぎ始めていた。5番シートのKennyはエンジンとしての役割を忠実にまもりながらもウネリをうまく読みながら、素早い対応で僕のステアーのサポートをしていた。

これよりも酷い海のコンディションで漕いだ経験があるクルー達は、無言のなかもお互い助け合いながら、チェンジの合図の声ごとにお互いの無事と元気を確かめ合っているようだった。

僕たち6人は風にかき消されないように、Hat ! Hoe ! という声を一段と大きく叫びながら、Kupunaにも、自分たちにも、元気を与えながら東伊豆の川奈イルカ浜を目指して漕ぎ続けた。

初島にぶつかった潮流と南西の向かい風が、僕らとKupunaの行く手をさえぎる。初島が確認できてから、なかなか陸地が近づかない。1時間毎に取っていた休憩も、漕ぎを止めるとKupunaが後ろに流されるので、あまりノンビリと休憩をとれない。風とウネリで大きく揺れ、不安定ななか素早く休憩をとり、すぐに漕ぎ出す。それを何度かくり返しながら、やっとの思いで初島の南の岸すれすれを、伊豆半島に近づくにつれて、風とウネリが少しずつ小さくなっていった。

初島が目視できるようになった頃から見えていた大室山の丸いお椀を伏せたような山の輪郭だけでなく、山の木々や建物が鮮明に見え始めていた。確実に東伊豆の岸が近づいていた。

川奈がわから望む初島


ひとり乗りのVa'a (カヌー)で川奈のずっと沖を漕いで通過しことは何度かあるが、一度も海から川奈にアクセスし上陸したことない僕は、出発前夜、金曜の夜にGoogle map で空中からの目線だけでおおよその場所と位置と雰囲気を確認していただけなので、海からの景色、それも海面1メートルからの景色で川奈の街を、それもイルカ浜がどこか判断するのは難しく、不安になりながらも、岸が近づくにつれ、風も海も穏やかになってきたので、スピードを取り戻したクルー達を不安がらせないように、『あそこだよ!川奈は!!もうすぐだよ! 頑張れ!』 と何度も叫び続けた。 


面白いもので、導き、道・・・は僕の予想や不安や希望を超えた高い次元で流れていたようで、
僕らのVa'a Kupuna は、川奈と思われる東伊豆の出っ張った半島のつけ根にあたる小さな湾に向けて、何かに引き寄せられるように、何かに応えるように、ズンズンと軽快に進むのを感じたのは僕だけではなかっただろう。

To be continue......





2013年7月4日木曜日

Hoe Va'a Voyaging Yumigahama レポート 舟出前

 6月21日、22日に行った、葉山の大浜から南伊豆の弓ヶ浜までの片道110キロ、往復220キロの漕ぎだけでの旅、Hoe Va'a Voyaging の手記をまとめてみました。




今回のVoyaging(航海)の主なミッション、

先日他界した、自ら海洋民族のスピリットを持ち、航海術や海洋民族にまつわる沢山の著書を書いた茂在 寅男先生の魂を僕らのカヌーに乗せ海を渡る。


近代だけでなく、古代にさかのぼり、この日本近海の太平洋で海難事故などでなくなった人達の魂を乗せ、癒しながら漕ぐ。


ひと漕ぎ、ひと漕ぎ、手で海を撫でるように、海と、海に生きる命を癒しながら漕ぐ。


この航海の陸地からのサポート編は、詳しく素晴らしい写真つきでOceanのページで詳しく取り上げているので、是非観て下さい。 
こちら
 
僕はすべての行程、220キロをステアーズマンとして漕いだので、その時感じたことや、クルーのこと、海の状況などを記録に残すことにしました。

長くなると思うので、少しずつ思い出しながら何回かに分けてこれからブログで連載していきたいと思います。






 《舟出数日前から金曜日》


往復で南伊豆の弓ヶ浜まで約220キロ、金、土、日、のうち土曜日を中(なか)日として、弓ヶ浜で休息する計画でいたが、フィリピン辺りにあった熱帯低気圧が急に発達し台風4号になったことで、予報に翻弄され、ギリギリまで決断ができないでいた。

夕方から大雨にもなったので、皆のテンションも下がり、ズルズルと金曜の早朝の舟出はキャンセルになった。 

今回のVoyagingを全面的にサポートしてくれた、僕たちのオハナでもあり、Ocean 弓ヶ浜支部長でもある潮見爺こと、Mau COGも、『今週末は無理ですね、全滅です・・・』というコメントだった。伊豆の海域を知り尽くした男にそう言われると、『そうですか・・』と素直に断念するしかない気分だった。 
確かに台風がやってきている状況で、伴走艇無しで舟出をするのは無謀すぎるし、誰から見てもVoyagingをキャンセルして当然の予報であり情報だった。

キャンセルは常識的にみても、無難な判断とも思った。

そして僕自身も、今回導かれない理由は何だったんだろう?と台風が接近するにしたがい考え始めていた。

Ocean Legend 1st Stageの時から、その日、The Day を待つのには慣れていたし、自然と共存するという意味は、“待つ”ということ・・・。すべてはタイミングであり、導きだ・・・という考えを持っていたから、導きが来るまで待てばいい、今回はまだ何かが足りないんだと、まだその時じゃないんだ・・・と自分に言い聞かせ始めていた。

そして、思考を働かせ、パソコンで情報収集し、予報に翻弄されて、弱気になった僕は、日曜日は台風一過になりそうな気圧配置だったので、うねりが残っても日曜日だけでも南伊豆までは無理でもどこかまでVoyaging できればいいな~と地図を見ながら、オハナ皆が楽しめるような、別の場所への航海を考えたりしながら金曜の夜を過ごした。 

夜がふけるにしたがい、この社会の中で活動する、Oceanというカヌークラブの代表としての常識的で弱気な僕の思考とは裏腹に、僕の胎のそこでは、Ocean のイベントとして航海するのではなく、もっとスピリチャルな部分、自分が弓ヶ浜で受け取ったメッセージに焦点をおいて航海するべきだと想いまじめていた。

母なる海のために、古代の海洋民族と同じ方法で、同じ想念で航海するのが大切なんだと僕は想い始めていた。

一番大切なのは、Va'a (カヌー)に魂を乗せ、カヌーPeopleの聖地、弓ヶ浜に漕いで上陸すること、
皆でVa'a を漕いで、南伊豆に眠っている古代の海洋民族のスピリットを目覚めさせること・・・・

『 Ke Alakai O Ko'u Mau Kupuna 』   
略して僕らはKupuna と呼んでいるが、今回のHoe Va'a Voyaging で使用するVa'a カヌー。 
『祖先たちがたどった道をたどる・・・・そうすれば僕たちが進むべき道が見えてくる』 という意味がこのVa'aの名前には込められている。

そして、明日から2日間の海の状況を考慮して、もしも弓ヶ浜まで漕ぐ場合は、女子も男子も初心者も、オハナの誰もが参加し、弓ヶ浜までの途中4箇所で交代しながら漕ぐ、イベント的な要素は全くやめ、Men's のMolokai練(今年のMolokai Hoeに参加するための練習)に4月から参加しているオハナ達を南伊豆まで導こうと決めた。

色んな情報を集め、予報を見たが、どれもこれも、所詮は人間がパソコンで計算して出したただの情報だった。
僕は何一つ本物は無いと悟り、まずは翌朝土曜日の空と海をみて決めよう、風の声に耳を傾けよう、自分の直感を信じようと心に決め、深夜になり眠りについた。




《葉山、大浜舟出の日》

土曜の朝4時過ぎ、辺りが明るくなるの待って海をチェックに行った。

海がよく見渡せる葉山公園に行って驚いた!声を出しそうになった。

一晩中降り続いた雨が上がり、今まで見たことないような、素晴らしい朝の景色が目に飛び込んで来た。
清々しい空と海がそこにはあった。

背後から昇る朝陽に照らされた西の伊豆半島と富士山がくっきり見え、ピンク色の筋雲が青い空をバックに輝いていた。
海と空が僕らのVoyagingを祝福している、とすぐにわかった。
導かれている・・・と僕は確信し、すぐにオハナ達にメーリスを発信した。

5時半舟出!!!』

もう予報をチェックする必要も、温帯低気圧になった台風4号の進路を気にする必要もなかった。 
僕らのVoyaging が偉大な力に祝福され導かれているのを強く感じていた。

すべてがうまくいく、航海中、辛いことが起こっても、それはすべてが学びで、俺たちは必ず力を合わせて克服できると確信していた。

さすがに台風のうねりは葉山の大浜にも届いていた。
  
でも舟出に影響を与えるほどでもなく、弓ヶ浜まで僕らとKe Alakai O Kou Mau Kupuna (略してKupuna)の航路が照らされて導かれているのを強く感じながら僕らは5時半過ぎに大浜を舟出した。 

いつもと変わりなく、見送りに来たオハナ達と手を取り合い、森羅万象、風、雲、太陽、星、月、空、大地、海、・・・に、愛と感謝の祈りを捧げ舟出した。
e ala e ・・・オハナたちにとって新たな人生の始まり・・・生まれたての地球のように美しすぎる海と空の境界にむけて、吸い込まれるように僕ら6人とKupunaは一つになり、海とつながり、スーと滑り出した。

To be continue....

2013年6月24日月曜日

海のリズムを感じて生きる

2日間漕いでいる間・・・

寝ている間も・・・・

ずっとリズムを感じていた。

Hula で使う太鼓のようなリズム・・・

大きなウネリの中でも、強風の中でも、強い日差しの下でも、もちろん弓ヶ浜で大広間でなぜか一人で(笑)寝ている時でも・・・220キロ、22時間海の上にいる間中ずっと感じていた。

そのリズムはずっと胎の中で、ドン ・ ドン、ドン、、、 ドン ・ ドン、ドン、、、、 と刻まれていた。

凄く心地いい、リズム、踊れるリズム・・・

大自然の中を、大海原を漕ぎ、心地よく冷えた澄んだ海と太陽、島のような生き生きとした緑の世界から、200キロ以上漕いで僕たちが住む陸地に近づくにつれ、行き先の空にモクモクと盛り上がる雨雲のような灰色のガスのような雲が立ちこめていた。

晴れてるのに視界が5キロもない状態で、陸地を包むガスのベールの中から湘南のゴチャゴチャした建物や、沢山の船やヨットの帆が見えた瞬間、懐かしさよりも、嫌悪感かな・・・・ を感じた。 

”ほんものの地球” の世界から、”陸地”、というよりも人間のエネルギーに覆われた世界に帰ってきた感覚がした。  
海から戻った浦島太郎のような気分だった。

たった2日間の航海だったのに。




Hoe Va'a Voyaging、220キロを2日間、6人乗りのVa'a(アウトリガーカヌー)で漕いだ航海、

天地自然、Kupuna(先人)と一つになるために海を漕いで渡る旅・・・

2年前の海からの巡礼の旅 の時もそうだった、舟出するまえに携帯を水没させてしまった。

今回も安全のために持って行った携帯が、防水携帯にも関わらずすぐに使えなくなってしまった。

僕はすぐに悟った、携帯を持つべきじゃない、この2日間は携帯を使うべきじゃないんだろうと・・・

人や情報や社会とつながらないで、天地自然とつながりなさい。
海と自然と、Kupuna(先人)達とつながりなさいというメッセージだと悟った。

僕はずっと携帯のワイファイの代わりに、その海のリズムを感じていたのだろうか?

悲しいことに、今はもうそのリズムを感じない。

ドン ・ ドン、ドン、、、 ドン ・ ドン、ドン、、、、 という凄く心地いいリズム・・・

地球の鼓動?? 海の、波のリズム??

きっとそうだったんだろう。 海と一緒に踊ってるような心地いい気分だった。


昨日、一昨日の2日間の航海は、僕のオハナたちにとっても、人生の大きな旅になったと思う。

今日からもう、いつもと同じように仕事に出ているオハナたち、人間がほんの数百年で作り上げた人工的な世界、人間の都合で破壊された自然の無い世界、すべてが人間の思考と価値観の中でうごめいている世界、車や電車や人工的な音に覆われた、そんな世界に彼らは戻っていった。 
時間に追われ、スケジュール通りに生きなきゃいけない世界。

でも忘れないで欲しい、その人間が創造した世界こそが架空の世界だ、てことを。

2日間過ごした、海のエネルギーに覆われた世界、Hoe Va'a Voyaging

海と大地の音しかしない数万年も数億年も続いた本当の地球の姿。

それが僕たちの愛する母なる地球のほんとの姿だってことを・・・・


懐かしくなったら、疲れたら、スマホの電源をオフにして、ビルや電信柱の隙間から見える空を見上げて欲しい。 月や星を見上げてほしい。

そして、あの青い空と蒼い海を思い出して欲しい。 山の緑を思い出して欲しい、

そうすればまた地球とつながることができるから・・・。

あの海のリズムを感じることができるはずだから。

そして、海とカヌーと一緒に踊ることができるはずだから・・・。